長い、長い旅でしたが、パプアに着きました。飛行機は、バリから東にむかって飛び続け、太陽が昇ってきました。飛行機の窓から地上を覗くと雲で覆われていてよく見えません。
しばらくすると、飛行機は、高度を下げて行きます。どうも、着陸しそうな模様、途中停車です。小雨が降る中、飛行機は8月5日午前8時前、パプアのティミカの空港に着陸しました。この地域は、近年、豊富な鉱物地下資源に注目が集まり、各国がその開発に関心を抱いていると聞きました。
全員一旦機内の手荷物を持って機外へ、私たちはトランジットのカードをもらって、再度チェックイン、飛行機は8時過ぎ、最終目的地ジャヤプラに向けて離陸しました。離陸後、レベルフライトに入るとすぐに、ブレックファスト。これまでの機内食で、お腹は悲鳴を上げていますが、食べ物は残さずにということが頭に染みついているのか、いつの間にか胃の中に。

そうこうしていると、飛行機は北に飛び高度を下げて行きます。ほぼ赤道直下にあるパプアでは、この時期太陽は北にあります。太陽のある方向が北、日本人の私たちには違和感がありますが、それが、地球なのです。雨も上がり、外は熱帯の輝きを取り戻しています。


そして、いよいよ着陸、飛行機は午前9時30分(日本時間と同じ)無事に最終目的地SENTANI-JAYAPURA空港に着陸しました。機をおり、到着ロビーに徒歩で向かう中、空の碧さと雲の輝きがからだ全体に自然に浸透する驚きを感じました。
到着ロビーには、チェンドラワシ大学公衆衛生学部長ランテタンパン先生、ヤコブルル先生が出迎えにきてくれていました。預けた荷物をピックアップして、その後、調査先発隊のベース基地チェンドラワシ大学ゲストハウスに向かいました。ゲストハウスまでは、空港から車で1時間ほど、そこは、これからの私たちの宿舎となります。そして、ついに神戸女子大学梶原教授チーム、高知大学チームと合流することができました。

さて、これからが物語の本番、残念ですが、今日はここまで!
またまた、仕事に追われブログがかけない日が続きました。"早く続きを書いて!"とは、とある卒業生の言葉。せかされるままに、筆を取り直し、さあ出発だパプアに向けて。
ところで、シンガポールの2日目の話が残っているのですが、このペースで書いていたのでは、いつパプアに着くのか分かりません。そこで、2日目書きたいところはたくさんあるのですが、我慢して、パプアに向けて出発しましょう。
まずは、シンガポールを出国しましょう。翌日、シンガポールの散策も終えて、私たちはビザをもらい、各々のホテルから、送迎バスで空港に向かいました。
飛行機は、19時発のバリ、デンパサール行き SQ948 、出国カウンターで荷物を預け、出国手続きを済ませて、ゲートへ、その前に、パプアで待っている人たちへのおみやげを、例によって定番のチョコレート、なつかしい!、アメリカに住んでいたときによく食べていた、mmやハーシーズのチョコレートがあるではないか。スイスの高級チョコレートといっしょに少しだけ懐かしいチョコレートを。
飛行機は、少し遅れてチャンギ空港を離陸、一路インドネシアバリ島に向けて出発しました。すぐに夕食が出ます。これからパプアまでは夜中のフライトが続きます。夕食をとったら、体力温存、少し休むことにしましょう。シンガポールからバリまでは2時間半、そんなに苦痛になる飛行時間ではありません。
飛行機は、途中、揺れることもなく、順調に飛行し、予定より少し遅れてバリ、デンパサールのグラライ国際空港に着陸しました。入国審査、私たちはすでにビザを取得していたので、すぐに入国審査カウンターに行くことができました。ビザを得ていない乗客は、ビザ代金を支払って、到着ビザを取得します。記入済みの入出国カードとパスポートを提示し、質問もなく、歓迎のことばをもらって入国しました。次に、預けた荷物を受け取って、税関申告書を提出し、到着ロビーに出ます。その前に、円をルピアに替えましょう。
到着ロビーに出ると、瀬口先生のお知り合い、シモンさんがきてくれていました。パプアからの帰りに、デンパサールのウダヤナ大学を訪問することになっていたので、その話しもあったのです。
パプアへの国内線の飛行機は、何と2時25分発、シモンさんと空港の喫茶店でお茶を飲みながら、一時、バリの話や観光の話を聞きました。

とりあえず、遅くなっては悪いからと、帰りの再会を約して、国内線にチェックインする事にしました。国内便の乗り換えでは、空港使用料として約300円を支払います。
出発ロビーは閑散としています。ところで、バリではイーモバイルはつながるのでしょうか。
おもむろにパソコンを取り出して短大にアクセス、しばらくするとメールの画面が、無事にインターネットに接続することができました。
しばらく、メールをチェックして、こちらの状況を関係者に連絡して。
ふと見上げると、子たちが眠そうに飛行機を待っています。この飛行機は、ジャカルタからやってきます。バリに止まって、パプアのティミカに止まって、最終目的地ジャヤプラに向かいます。
搭乗予定時間を少しすぎた頃、一群のお客さんがあわただしくあらわれました。何事かと思っていると、到着した飛行機から降りてきた人、飛行機が到着すると一旦全てのお客さんをおろして、乗り継ぎ客として再度搭乗する模様。急に出発ロビーはにぎやかになりました。
さあ、私たちも搭乗です。
乗り込んだ飛行機は、足の踏み場もなく混んでいました。これから、ジャヤプラまで6時間半の飛行。パプアがそこに見えてきました。
パプアはどんなところでしょう。新しい太陽がでたら、そこはジャヤプラです。
それでは、この続きはまた、see you soon!
まあ、あせっても仕方がありません。とりあえず空港?ホテルの送迎マイクロバスに乗り、私と西田親分は、ホテル Royal@Queens へ、バスの窓から目に入るシンガポールの景色は、とても明るくてまばゆい、美しい花々が私たちを歓迎している。私たちが宿泊予定のホテルは、ダウンタウンにあるRaffles ホテルの近くにありました。

バゲッジを部屋に入れ、一息つくと、ビザのことが思い出される。西田親分は、関係者に電話をしたり、コンタクトに大忙し。私は、状況が分からず部屋を探検。ここではLAN も使える。これで、メールもチェックできると、しばらくすると西田先生から、ビザの関係者が19時に瀬口先生のホテルにくるので、向こうに関係書類を持って行くことになったと連絡がありました。
歩くとホテルRoyalまでは、1時間はかかるでしょう。私たちはタクシーを捕まえ、予定の時間に間に合うようにホテルを後にしました。
ホテルRoyal につくと、一息入れて落ち着かれた瀬口先生と栗山君がロビーで待っていてくれました。
しばらく、みんなで明日の予定などについて話をしていると、ビザの関係者がやってきました。無事に会うことができ、話しもスムーズに、ビザは明日の3時頃に持ってくる事になり、これでいよいよインドネシアに出発することができる。外も暗くなり、急にお腹が空いてきました。
夕食は、そういえばタクシーでホテルにくるときに、近くに屋台があることを発見しました。シンガポールの屋台で食べる食べ物は、大変美味しいと多くの人から聞いていました。早速、みなさんに屋台へ行こうと提案、みなさんもそれで行こうと歩いて屋台へ、私たちが入ったのは Newton Hawker Center というフードセンター、多くの人で込んでいました。


好きなところに座って、いろいろなお店から好きなものを選んで食べる、とても、愉快。
私たちは、Lucky Newton Seafood へ、さて何を食べようか、まずはビール、そうタイガービールです。
お腹が空いているので、すべてがおいしそうに見える。
空心菜のピリ辛炒め、青椒肉絲(チンジャオロース)、Tiger Prawnのグリルそしてチャーハンと、ピリ辛はビールが進む。今日、ドッキリがあったことも忘れて、一時シンガポールの食事を楽しみました。
明日はシンガポールを離れてインドネシアバリ島のデンパサールへ、19時の出発。半日はシンガポールを観光できます。観光地に行くには、十分な時間がありません。とりあえず、明日は、ダウンタウンにある私たち Royal@Queens ホテルに集合して、シンガポールのメインストリートを楽しむことにしました。
終わりよければすべてよし、何とか無事にシンガポールの初日が終わりました。
さて、飛行機は関西国際空港を時間通りに離陸、一路シンガポールに向けて高度を上げて行きました。機内は、比較的空席も多く、ゆったりとした雰囲気で旅行を開始することができました。
飛行機が、レベルフライトに入ると、シートベルト装着ランプも消えて、まずは飲み物、関西国際空港からシンガポールまでは約6時間あまり、時差が1時間あるので、着くのは現地時間の4時すぎ、そんなに長いフライトではないが、やはり楽しみは機内食、配られたメニューを見ながら、どれを選ぼうか。
飲み物の中には、ラッフルスホテルのロングバーで、1915年に誕生したカクテル、シンガポール・スリングもある。これは飲まねばと思いながら、昼間からカクテル?と帰りを楽しみにする事にした。とりあえずは、ビール、そうタイガービール、虎のマークがまばゆい。味は少し薄め、飲みやすい。渇いたのどに適度な潤いが戻ってきた。
飲み物を飲み終えると、そろそろお腹が空いてきた、昼食のいい匂いが漂ってくる。食事は、インターナショナルセレクションと和食の2種類から選ぶ。やはり、選んだのは和食、メインは海鮮塩焼きそば、その他に「冷たい季節の麺」が付いてくる。海鮮塩焼きそばのエビがとても美味しい。満足して頂くことができた。

昼食がすんで、あとは着陸までゆっくりと時間を過ごす。本を読んだり、映画を見たり、以前、米国やヨーロッパの出張では、機内で良く映画を観ていたが、最近、映画を観ることは少なくなった。そうこうするうちに、飛行機はシンガポール上空に、予定では現地時間4時半に到着することになっていたが、順調なフライトに到着時間が15分ほど早くなった。飛行機は4時10分過ぎに、無事シンガポールチャンギ国際空港に着陸した。
1階のイミグレーションカウンターで、パスポート、入出国カードを見せて入国審査を受、税関を通関して、到着ホールへ、そこはまさにシンガポール。

さて、次はホテル、今日泊まるホテル、空港ーホテル間の送迎、これらは日本で予約してくれていた。私たちは、安心してシンガポールでインドネシア入国ビザを取得できるはず、伝えられていた旅行社のカウンターに向かいました。書類を出して、宿泊のホテルへ、ちょっと待ってください。そこで、分かったことは、私と西田先生が泊まるホテルはRoyal@Queens、瀬口先生と栗山君のホテルはRoyal、聞いてみると二つのホテルはかなりの距離、ホテル到着後、ビザの手続きに現地の担当者が、瀬口先生のホテルに書類を取りにくる手はずになっていた。てっきり、Royal という名前に、4人とも同じホテルと思っていたのが事の始まり、さて、開けてびっくり玉手箱、どうしたらいいの私たち。
ここであわてても仕方がない、とりあえず、ホテルにチェックインして、その後、電話で連絡を取り合うことに。もし、ビザが取れなかったらどうしましょう!
次回私たちの運命は?(大袈裟な)
みなさーん、お久しぶりです。
いやー忙しい!「大学の先生は休みが多くていいですね。」とは知り合いに会って聞かされる言葉、このごろは反論もしないが、とにかく忙しい。
そんなことで、ブログはずいぶん間が開いてしまいました。これから書くからね、と書いたのはついこの前のように思います。
なんでそんなに忙しいの?私にもよく分からない、がとにかく忙しい。
忙しい、忙しいと言ってないで、早く書きなさい。
そうでしたね。
今回はシリーズで書きましょう。そう、ひょんな事で、ひょうたんからこま、夏休みに入って早々(ずいぶん前になるやんか)インドネシアのパプア、バリに出張する事になりました。目的は、ネットワークの調査。インドネシアの大学と神戸女子大・短大をインターネットで繋いで会議をしようというものです。神戸女子大学の西田先生(銀河の専門家)が親分、私は子分で同行する身、また、これには別のグループがいて、現地の人の健康調査から食と健康を研究している神戸女子大学の梶原先生チーム。実は、西田親分と子分の私は、インドネシアと共同で活動されてる神戸女子大の梶原チームと高知大学のチームの調査に相乗りした型での出張だったのです。
それでは、出発、私たちは先に現地に入っている梶原チーム、高知大学チームに遅れて、8月3日(月)に関西空港を立つことになりました。
2日のオープンキャンパスの仕事を終えて、準備も早々にシンガポールに向けて3日午前11時 SQ617 で日本を後にしました。

SQ617 瀬口先生、西田先生、栗山君
この旅には、やはり先発隊から遅れて出発する瀬口神戸女子大学副学長、高知大学の医学部生栗山君が加わる事になり、何かワクワクするものがありました。
どうして、シンガポール経由?疑問は当然、実はシンガポールでインドネシアのビザを取得することになっていたのです。
シンガポールは、以前オーストラリアに会議で行った時に空港に立ち寄ったことがあるだけ、泊まるのは初めて、どんな街か楽しみです。
さて、今日はここまで、続きは次回、これから何回かに渡ってお話をします。
インドネシア現地健康調査のおもしろい話もあるよ。
続きをお楽しみに。
インターネットを利用したオンライン学習を、多様な入試で大学に入学する学生への早期教育に利用したり、高等学校までの学習で不得意分野の補習教育や初年次教育などに利用するための全国連携組織である UPO-NET のセミナーに参加するために、熊本市にある熊本県立大学を訪れた。
これまでは、博多以南を訪れる機会がほとんどなく、熊本を最後に訪問したのは、高校2年の夏、九州を一周する旅の途中で立ち寄ったものであった。
熊本とは縁が深い、実は、20年近く前になくなった母親は、熊本出身であったこともあって、幼稚園に入る前から、母親のお供で熊本の田舎(親戚)を訪れていた。その当時は、大阪駅から夜中に出発する、蒸気機関車が引く、夜行寝台列車に揺られて十時間以上の長旅であった。満員列車のデッキに寄りかかり、まどろみの中に薄ぼんやりとした夜明けを経験したことも鮮明に記憶している。あかつき、はやぶさ、彗星、なは、明星と言えば言わずと知れたブルートレーンだが、これらのブルートレーンにも数え切れないほど乗った。ゆったりした時間の中で、車窓に写る海岸線が今でも忘れられない。今は、そのブルートレーンも走ってはいない。
新神戸から博多まで新幹線「のぞみ」で2時間強、博多でリレーつばめに乗り換えて1時間半、4時間ほどで熊本に着く、半世紀前とは隔世の感がある。このように書くと如何にもよくなったように聞こえるが、昔の方が街々は生き生きしていたように思う。時間の短縮とともに、地方の街は疲弊し、今回もそうであったが、どこか寂しさを感じるようになった。肥大化する小数の都市と、寂しさを増す多くの中小都市、そんな構図を、どこを訪れても感じるようになってきた。
生きた国、楽しい国をどうしたら作ることができるのであろうか、それには、それぞれの街々が、豊かな独自の文化、輝く眼を持った地域人を創成することが必要である。今回のセミナーともオーバーラップして、将来を背負ってたつ若者と日々接する私たちの重責を感じた。
今回の熊本訪問は、半世紀前の自分を思い出す懐かしさと、これからの教育を進めて行く上での責務を感じさせる大変有意義な時間であった。 (6月6日)
陽ざしが春を感じさせるも、いまだ寒さの残る、平泉を訪れました。3月の末、例年暖かくなって行くはずの東北の地も、今年はきつい寒の戻りで、前日の雪が残り、まぶしい陽ざしに雪がちらついていました。

平泉は、奥州藤原氏がその栄華をほしいままにした所として有名です。平泉中尊寺は極楽浄土を現世にあらわした金色堂が有名で、藤原三代清衡、基衡、秀衡のミイラが納められていることで知られています。
平泉の中尊寺と毛越寺、松島の瑞巌寺、山形の立石寺(山寺)は慈覚大師円仁が開基したお寺として知られています。これらのお寺を松尾芭蕉が巡拝したことは『奥の細道』にも記されています。
「夏草や兵どもが夢の跡」この句は、悲運の義経主従を偲んで芭蕉が詠んだ句として有名ですが、この句が詠まれたのが毛越寺でした。中尊寺からは徒歩で15分くらい、JR平泉の駅からも徒歩10分くらいの距離にあります。現在、毛越寺は、当時の伽藍は消失し、塔山を背景にした典型的な浄土庭園の中心をなす大泉が池が往時を偲ばせるだけではありますが、その規模から如何に華麗な寺院であったか、容易に想像ができてしまいます。かつて、この池に龍頭鷁首の船を浮かべて、管絃の楽を奏したという話を聞くと、優雅な昔が思いやられます。
大学在学時には、瑞巌寺や山寺は幾度となく訪れたことがありました、しかし、今回の中尊寺、毛越寺は初めて訪れたお寺でした。
春浅き東北の、訪れる人も少ない時期にこれらの寺々を、ゆったりした時間の中で、自らの歩の音を聞きながら歩みを進めると、時間と空間が往時に戻る思いがするのは、私だけなのでしょうか。
これで、芭蕉の四寺をめぐったことになります。次は、どこを尋ねようかと楽しい思いに心はせながら時間を過ごしています。
不思議なことだが、私の机の上に何本かのアラビア筆がある。この筆は、芸術的と言ってもいい美しいアラビア文字、アラビアンカリグラフィーを書くためのものである。
数年前に国際会議でトルコのイスタンブールを訪れた。
イスタンブールはボスポラス海峡をはさんでヨーロッパとアジアが接する美しい大都市である。
その歴史は長く、かつてはコンスタンティノーブルと呼ばれた。ローマ帝国、東ローマ帝国、ラテン帝国、オスマン帝国の首都が置かれていた。今では、イスタンブール歴史地区は世界遺産に登録されている。
その際、ある知り合いの方からアラビア書道の筆、アラビア筆を求めてくるように頼まれた。トルコはケマル・アタテュルクによる民主化により今に至っている。ケマル・アタテュルクはトルコ建国の祖として大変な尊敬を受けている。彼は、トルコの言語純化運動によって、トルコ語の固有語復活とアラビア語、ペルシア語からの借用語の除去によりトルコ語の純化を行おうとした。その中には、文字改革によるアラビア文字の禁止とラテン文字の採用が含まれていた。そのため、アラビア文字は禁止され、アラビア習字もさびれてしまっている。
トルコ滞在中、時間を見つけては事務用品店に入ってアラビア筆を探したが、全く見つけることができなかった。
ところが、会議に同伴した先生と民族楽器屋に入って話をしていたら、昔使っていたやつがあると見せてもらった。また、良ければ作ってやると言われて作ってもらったのがこの筆である。アラビア書道で使うアラビア筆は、細い葦や竹の棒の先端を彫刻刀の平刀のような形に削って作るらしい。この筆は、書道家が自分にあったように自分で作るものらしい。筆は、普通に鉛筆やペンを持つのと同じ持ち方で使うらしい。
何とか、頼まれたことが解決して、ホットした思い出がある。そのことを、ふと思い出して、アラビア文字のいたずら書きをしてみた。
今年も可憐にスイセンの花が咲きました。
このスイセンは以前に知り合いからいただいたものです。
背丈は低いのですが、毎年この時期に密集して可憐に咲き誇ります。
地球は確実に太陽の周りを回っています。私たちの身の回りでは、世界的な経済危機や地球温暖化などさまざまな問題が騒々しく取り上げられていますが、大自然は正直です。
人に、私たちは、本来、自然のなかの一員であるという毅然として意識があるならば、今の多くの人が感じている閉塞感など存在しないのではないかと思うのですが、なかなか、そうも行きません。
しかし、ふとしたときに気づく自然の営みに心を浸すとき、自然のなかの自分という何とも表現しがたい微笑みが生まれてきます。
2月14日(土)、お世話になった先生の最終講義があった。楽しくお仕事をさせて頂いていたので参加してみた。100名以上の卒業生や関係者が集まっておられたであろうか、講義のあとの懇親会も含めて大変盛況であった。
そのことから、先生のお人柄がよく分かる。

お世話になったのは神戸大学学術情報基盤センター長の鏑木誠先生、先生とは高等教育にICT技術を取り入れることをテーマにした国際会議( ITHET )に関係していろいろと仕事をさせて頂いた。
先生のご専門は物性物理学、理論分野で活躍されておられる。私が、神戸大学の大学院で物理学を学んでいるときに教養部で教えておられた。私の専門が宇宙線物理学であったので、その当時直接お話をすることはなかったが、コンピュータ関連の仕事がよくおできになることは周囲からお聞きしていた。
短大に就職し、米国での研究から帰ってきて神戸大学で物理学実験を見るようにお話があり、非常勤講師として物理学実験を担当するようになった。当時、非常勤講師が集まっていた物理共同室の隣が先生のお部屋であった、そして、それを機会にお話をするようになった。
ある時、情報教育に関係する国際会議の情報を頂き、先生達の神戸グループと一緒に発表を共有させていただくようになった。
トルコのイスタンブール、ドミニカ共和国のサントドミンゴと今までにない旅を経験させて頂いた。楽器屋をあさったり、現地で床屋に行かれたり、コンピュータのキーボードをパーツ屋で求められたりとアグレッシブに活動される先生のお姿が眼に残っている。
国際会議でご一緒させて頂いた先生のお姿を思うと、最終講義に多くの方々が集まられたことにうなずくことができる。
これからもお元気で活躍されることをお祈りしたい。楽しい最終講義であった。
昨年は、アメリカ大統領選挙の年、アフリカンアメリカンのオバマ氏が熱狂的な支持をもとに大統領として選ばれ、昨月1月に大統領就任式がありました。
大統領選挙といえば、1992年のブッシュ、クリントン戦が思い出されます。8月に研究のためアメリカ暮らしを始め、まさにその年が大統領選の年でした。テレビに映し出される選挙キャンペーンに、異国ながらもわくわくするものを感じることができました。
一つの言葉が、国を返る、その雰囲気がアメリカには漂っているように思いました。私たちは、南部アラバマに住み、時間があるといろいろなところを旅して回りました。南部といえば誰でもが黒人差別を思い出すことでしょう。Gone With the Wind で有名なアトランタを訪問したとき、ダウンタウンにあるマーティン・ルーサー・キング Jr. センターを訪問しました。

そこには、公民権運動に貢献しノーベル平和賞を受賞した、キング牧師の生家と墓地などがありました。私たちが訪問したとき、センターは観光客でにぎわっていましが、そのほとんどはアフリカンアメリカン、異様な感じを受けました。私たちが住んだ南部はとても人に優しい南部でした。サザンホスピタリティーという言葉があります。私たちの南部には、この言葉がまさにそのまま当てはまる、人種差別などなかったかのような南部がありました。しかし、センターで見た、ほとんどが、アフリカ系アメリカ人の観光客には、なにか独特のものをおぼえたことを記憶しています。
そのセンターで買ってきたキング牧師の演説を録音したテープ「I Have A Dream」(私には夢がある)が机の引き出しに入っています。そう、1963年8月28日にリンカーン記念堂へ向かうワシントン大行進において行われた有名な演説。「いつの日か、かつての奴隷の子どもと、かつての奴隷の所有者達の子どもが、兄弟愛というテーブルにおいて席を共にすることができる日がくることを・・・」、そして、演説から半世紀を経ずして、そのときがやってきました、今年、新しいアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生したのです。
今でも時々このテープを聴いています。このテープには力があります。新しい大統領の言葉にも力があります、愛があります。今年の Presidential Inauguration を見ていて、私たち家族が経験した懐の深いアメリカ、言葉が力を持つアメリカを感じるとともに、いつか過ごした南部アメリカを思い出しました。
昨年秋から、月に1度、故あってKobeサイエンスクラブというところでボランティアを行っている。そこでは、子どもたちに科学実験を体験してもらっている。
何気ない身のまわりの現象がよくよく見ると不思議に見えてくる、いつしか、なんでー とつぶやいてしまう。そんな不思議を、科学実験という切り口で子どもたちの目の前に提示してやると、いつしか眼が輝いてくる。子どもたちの眼の輝き、興奮を見ていると無限の可能性を彼らに感じる。今の大人たちにそんな輝きがあるのだろうか。

先月末には、遠足で神戸大学の発達科学部の研究室を訪問した。宇宙からやってくる宇宙線を観測したり、光の偏向や人が光をどのように感知するか、花粉を運ぶ虫によって花の構造がどのように変化してゆくか、化石から地球の昔物語を綴ったりと、研究の最前線で活躍されている先生方の研究室を訪問しお話をいただいた。いつも行っている実験とはまたちがって、大きな感動を子どもたちの心の中につくり出したようだった。
理科離れが進む日本の社会、このままでは沈没するのでは、理科も文科も人類の「知」には分け隔てはない、社会に未来があるのなら、文系・理系という切り口をすてて、子どもたちが自然に持っている感性を自然な形で伸びるように環境つくることが大切だ。
教育にかかわるものの責任は大きい!!理科を嫌いと言って子どもたちの教育にあたろうとする多くの若者、そこから子どもたちが望ましく成長するとは考えられない。理科嫌いは増殖するだろう。いや理科だけでなく、勉強嫌いかも、どこかで負のスパイラルを断ち切りたい。
子どもは宝であり、子どもを宝としないような社会に将来はない。これからも機会があれば子どもたちに将来に希望を持たせる活動を行って行きたい。
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